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美幌峠の思いで②(屈斜路湖から日高まで)

さて、W君との再開を喜んだあと、私とW君とW君が旅先で知り合った人3人は泊まる場所を探すことにした。私とW君はテントを持っていなかったので、近所の小学校の軒先に泊まることにした。朝がきて子供たちがラジオ体操をやっていたので一緒にやった。そして、私は札幌に向かって出発した。屈斜路湖から弟子屈に向かった。旅先で知り合った人とは弟子屈あたりで別れたのじゃないかと思う。私とW君は阿寒湖に向かった。そこに着いたころ、私は合宿の疲れがでたのかちょっとぐったりして昼寝をした。ちなみにこの阿寒湖の近くで同じ大学のK君にあった。K君も自転車旅行をしていたのである。K君はW君とは面識があった。私とはなかった。ただ、彼の風貌は大学内で目立っていたので私は彼の顔を知っていた。当時、彼は赤いちゃんちゃんこを着赤いトレーニングズボンをはいて仏のような顔をして大学内を闊歩していた。K君は年は同じ年だが、私のほうが大学では1年先輩だった。ただ、私はそうそうに1年生のとき留年してたので学年はあっさり追いつかれていたのである。K君は今ベトナムに関する若干の論考というのを書いていて当時からなかなかインテリだった。 

話はもどるが私とW君2人は阿寒湖をでて、しばらくして別れた。私は1人自転車をこぎにこいだ。私は自転車の旅に喜び、エクスタシーを感じていた。自転車の機動力にも感動していたし、自分の筋肉で走る喜びに震えていた。こんな楽しい旅は今までもその後もなかった。阿寒湖ではぐったりして2時間ほど寝てたかもしれないが、若かったせいかすぐ回復したのだろう。今地図を見ながら思い出しているのだがその日の内に帯広の北東にある足寄までいった。はっきり覚えていないが、キャンプ場らしきところの建物の軒先で野宿しようとしたら、親切なおじさんが泊まっていけといってくれて、家の中に泊まった。普通の家ではなかったと思う。そこで、スーパーで買ったコロッケを買ったあと一瞬で寝てしまった。

 私は日の出とともにそこをでた。何のお礼もせずに。今の私なら住所ぐらい聞いておいてお礼のはがきぐらいは出すだろうが、あのときは若かった。その日も 私は走りに走った。帯広の北を通り、狩勝峠を通って日高町までいった。180キロぐらいあるだろう。ほんらいなら日高峠を通るべきなのだが、トンネルがあるので避けたのだ。狩勝峠を越えるのはしんどかった。狩勝峠の手前で1年目のときに同じクラスだったY田君にあった。彼も自転車で旅をしていたのだ。Y田君とは1年生のときに一緒に山に登ったりした仲だ。彼と共に狩勝峠を登ったが彼はやせていて、速かった。彼とは狩勝峠で別れた。確か彼は富良野のほうへ向かったと思う。しかし、札幌から200キロも300キロも離れているところで同じ学校に通う知り合いに会うのである。今考えても不思議な感じがする。それも2人も。

2010年8月28日

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