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五公五民でなく二公八民

歴史の教科書には「江戸時代は五公五民であった」と書いてある。つまり収穫の半分が税だったというものである。しかし、これはどう考えてもおかしい。江戸時代、人口の8割ほどが農民だったという。ということは収穫物の半分を残りの2割の人が消費していたことになる(もちろん農民が副業に例えば大工などをしていれば、税として取られた収穫物は農民に還流するのだが、そんなのはごく僅かであろうから無視する)。この残りの2割である武士や商人、職人がそんなに大食いの訳がない。肉体労働をしている農民のほうが都市生活者より多く消費していたというのが実際であろう。つまり食糧生産者が人口の8割もいて、税が収穫物の半分ということは絶対になく、普通に考えれば人口配分どおり二公八民だったのだろう。

2019年6月2日

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