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ボルシェヴィキ(共産主義)について思うこと

2019年9月27日

共産党と社会党の違いなど

ボルシェヴィキというのは昔のソ連の共産党の別名なのだが、それについて、最近パラパラと本を読んだので書いてみたい。まあ、いろいろ思うことは多いが、それは一言で言えば嫌悪感である。スパイとかね。ここでスパイというのは味方のフリをして情報をとり敵に情報を渡すこと。大使館員が情報をとるのは、最初っから敵だとわかっているので、ここでのスパイには含めない。本来、日本人にはスパイという概念はないのではないか。確かに日本人は宣戦布告なしで戦争したり、韓国併合のとき無理やり調印させたりとか、せこいめんが多いのだがスパイというものはなかった。まあ、宣戦布告とか、調印なんてのはどちらかというと西洋の風習だしね。長い間、共産党というというのがよくわからなかった。というのは、例えば日本では社会党と共産党があった。なんとなく違いがあることはわかるのだが、明確にはわからなかった。ドイツにも社会主義政党の社会民主党と共産党があった。ともに社会主義でマルクス主義らしい。他の国、フランスやイタリアなどもそうだ。イギリスには労働党があるが共産党はない。なんとなく、共産党は、他の社会主義政党よりも、より社会主義的で、ソ連とかとも仲がいい、位のイメージだった。 で、まあちょっと前に立花隆の「日本共産党の研究」を読んだら、今までのなんとなくの疑問が氷解した。大雑把に言えば、共産党というのはコミンテルンの各支部ということらしいのだ。コミンテルンとはソ連の支配下にある団体で、正式名称はコミュニズム・インターナショナルだったかな。日本共産党はもともとはコミンテルンの日本支部として約100年前に(1922年、大正11年)できた。ちなみに共産党というというものを調べようと思ったきっかけは立花の前に荒畑寒村の自伝を読んだからだ。わりにおもしろかった。荒畑は日本共産党の立ち上げに関わったが、数年でやめたようだ。話を戻すと、ドイツ共産党もコミンテルンのドイツ支部である。ドイツの場合はコミンテルンの支部として創られたというわけでなく、もともとドイツの社会民主党というのがあり、それの急進派がスパルタクス団というものをつくりそれがコミンテルンのドイツ支部になったようだ。他のヨーロッパ諸国でも社会民主党の一部が分裂してその国の共産党となったようである。まあ、これによって疑問に思っていた社会民主党と共産党の違いがまずわかったわけである。

共産党が各国政府に嫌われるわけ

それで、コミンテルンというのは各国で暴力的にその国の政府を倒して、共産党の独裁政権を作ろうとしていたらしい。それで、なるほどなーと思った。そりゃあ、他の国とソ連は仲良くはなれないわとね。ナチスの危機が迫っているときでもイギリスはなかなかソ連と協力してナチスに対抗しようとしなかった。そりゃ、自分たちの政府を暴力的に倒そうとしている国とは仲良くできんわなと思ったよ。それがまた、ボルシェヴィキというのはやり方が陰険なわけである。いろんなスパイを紛れ込まして、時期が来たら、一斉に蜂起するというような感じなわけである。日本でのスパイといえばゾルゲと尾崎秀実が有名である。ゾルゲはドイツ人ジャーナリストとしてドイツの味方のふりをしてドイツ大使館あたりから情報を得ていた。尾崎秀実も共産主義を隠して近衛文麿あたりから情報を得ていた。暴力的にといっても内乱を起こすというのとは違う。組織の中にがん細胞のように入り込んで増殖するという感じだ。ちなみに共産党の一番小さい単位は細胞といわれているらしい。まあ、そんなわけだから、ナチスの前のワイマール期のドイツで共産党が勢力を伸ばしたとき、共産党だけには政権を取られたくないとして、保守系の人たちがナチスに協力をしたのもわかる気がするな。

コミンテルンというのは圧倒的にロシアの力が大きかった。というより、ソ連の指導下にあったといってもいいだろう。ロシアに共産党の学校のようなものがあって、そこで暴力革命やスパイ行為の訓練をうけて各国に派遣されるわけである。日本人もそうだ。中国や朝鮮もそうだ。そして各国の党の形態もソ連の共産党と全く同じ型である。民主集中制という型である。日本共産党は今もその形態らしい。どうりで北朝鮮や中国やら各国の共産党が陰険きわまりないかがよくわかる。ロシアで教育をうけてそれを受け継いでいるからだ。平気で日本人を拉致したりとかね。文化大革命とかね。キチガイだよ。

ボルシェヴィキ

ボルシェヴィキというのはロシアでの社会民主労働党がボルシェヴィキとメンシェヴィキに分裂してできたものである。社会民主労働党というのは社会主義政党でマルクス主義政党のようだ。社会主義というのは意味が広すぎるのでなんとも言えないが1900年以降では社会主義イコールマルクス主義という感じでいいんじゃないかな。マルクス主義というのは生産手段の国有化。労働者による独裁くらいかなあ。ここらへんはよくわからん。その社会民主労働党の分裂は1903年である。ボルシェヴィキはレーニンがトップである。なんで別れたかというと、革命を起こための手法の考え方が違ったようだ。レーニンは党員を絞って、少数精鋭。鉄の規律。まあ、上の命令には絶対服従ということかな。あと民主集中制というのも最初あったのかな。まあ、これはあとで説明したいが。なんで少数精鋭かというと、レーニンは暴力革命をしたいわけである。すると当然政府から弾圧を受ける。となるとその活動は密かにやらなければならない。となると、政府の方はそれを見つけ出すためにスパイを党に紛れ込ませようとする。もし党員が増えたら、容易にスパイが紛れ込んでしまうだろう。だから党員は厳選しなければならないということらしい。一方のメンシェヴィキというのは党員を増やすという感じで、どちらかというと穏健派という感じなのかな。ここらへんはよくわからない。とにかくボルシェヴィキは目的のために手段を選ばないたちなので、銀行強盗もしている。これはあの悪名高いスターリンが指揮をとっていたようである。私に言わせれば、ボルシェヴィキというのは大学構内で見かける、革マル派や中核派のたぐいである。暴力的という以外にも、このボルシェヴィキの言っていることは、意味不明なことが多いのである。言葉も「日和見主義」「プチブル」「反動」「ブルジョアジー」とかこういう言葉の連発である。革マルの立看そっくりである。レーニンなんかは知的でまともだったのではと思われるかもしれないが、似たようなものである。私もレーニンの著作を少し読もうとしたが、マルクス主義用語に埋め尽くされた、意味不明の言葉と、独断的な考えに埋め尽くされているので、とても読めたものではなかったし、今後も読むつもりもない。ラッセルに言わせれば、レーニンに会ったが、全く知的でなかったとはっきり書いている(ラッセル著「ロシア共産主義」より)。まだトロツキーのほうがましだったようだ。私ももう20年近くまえに、スターリンのあとにソ連のトップだったフルシチョフの回顧録(封印された証言)を読んだが、あまりのバカさ加減によく、こんなのでトップをつとめられていたな~と思ったものである。まあ、政治家というのはだいたい考えが浅いものだが、それを考慮しても、ひどかった。まあ、ボルシェヴィキというのはこういう狂信的な団体だったわけである。じゃあ、なぜ権力を握れたかというと、その当時、第一次世界大戦中だったので、それをやめることをスローガンにしたからである。国民は戦争をやめたがっていたのだ。

マルクスについて

マルクスは学者であり革命家である。マルクスは口が悪い。そういう点で人間としてどうかという点がある。マルクスの攻撃的な性格をさらに悪化させたのがレーニンであり、そして最終形がスターリンという最悪の結果を生んだ。マルクスは、学者としてすごいのかといえば、どうなんだろう。学者としては資本論の著者ということなんだが、資本論の要約書などみるかぎりでは、そう興味をそそることを書いていない。要は資本家が搾取しているということを長々と書いているだけなんじゃないか。そんな長々と書かなくたって、どう見ても資本家というか財閥はとりすぎだろう。資本論も大昔に最初の1章を読んだが、労働価値説だが、価格が労働量によって決まるということを、これまたダラダラと書いているわけである。価格が労働量に大きく依存するのはわかったからもういいよという感じだった。もう忘れたけどね。資本論は経済史や社会学として価値があるのかもしれないな。暇なときにでもちょっと読んでみたいという気はある。

日本の共産党について

先に記したように日本共産党は1922年(大正11年)にボルシェヴィキの日本支部として創立された。で、私の現在の日本共産党の感想だが。党員は間違いなく、いわゆるいい人である。私は以前、郵便配達をしていたのだが、共産党のポスターを張っている家の人は100%の確率でいい人であった。ポスターを貼っているということは党員なのだろう。若い頃、共産党に好意的に発言する人がいたが、その人もすごくいい人だった。私はほぼ確信しているが共産党員はいい人だらけである。これは暴力殺人集団の革マルや中核の人にも言えるのではと思う。私が学生の頃だったが、友人が自治委員かなんかやっていて、よく40歳くらいの革マルか中核だかのおじさんに声をかけられたらしい。友人曰く「あの人達、いい人なんだけど、敵のグループ(つまり革マル派なら中核派)に対してはなんか異様に攻撃的なんだよな~」みたいなことを言っていた。日本共産党は形式的には民主的に選ばれた代表が委員長やら執行部をしているらしい。しかしそれは本当に形式的らしい。まあ昔の共産圏の国も一応選挙で選ばれていたらしいからね。で、党の方針も形式的には多くの人の話し合いで決まるらしい。でその方針を、つまり上の命令を確実に実行しなければならないらしい。まさにボルシェヴィキの鉄の規律を受け継いでいるわけである。だから共産党の国会議員はみんな同じことをいうのだ。まあ、最近の自民党もそうだけどね。日本共産党の欠点はあと不寛容だということ。

大粛清とか

スターリンの大粛清の話とか、あまりにも陰険で読めたものではないよ。人民の敵とかね。あとシベリア抑留の体験談の 「極北の光」という本が岩波文庫であるのだが、その酷さというのは陰鬱な気分にさせられたよ。なんでこんなひどいことが起きたのかというと、やはりロシア人の幼稚さというのはあると思う。あと中国の文化大革命とか、アホらしくて嫌気がさす。でも日本の社会とかを見てもこれほどではないにしろ、多少は似たようなところはあると思う。まあ、ボルシェヴィキのようなキチガイのことをこれ以上調べたくないというのが今の気持ちだ。 スターリンというのは自分もスパイ活動をやっていたので、周りの人もスパイに思えて信用できなかったんじゃないかな~。まあ、それにしてもあの大粛清は人類史上かってない醜悪な出来事だよ。だいたい共産主義の自己批判や自己告白とかいう集団吊し上げが醜いよ。人間過去を振り返れば、大なり小なり悪いことをしているものだ。それを告白させて吊るし上げる。中国でもそういうことをやっていたし、シベリア抑留でもそうだ。

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