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数学が物理に役立つこと、物理を学ぶのになぜ数学が必要か

もともと、物理はガリレオの運動学から始まった。時間と位置の関係を表わすことから始まった。時間や位置は数である―――私の考えでは数とは長さのことであり、物理量はすべて長さに帰着される。だから当然計算の学問である数学を学ぶ必要がある。現在でも物理学の分野は、力学、電磁気学、熱力学、統計力学、量子力学だが、基本的には運動(時間と位置)の学問である。

自然界を研究するのに必ずしも数学が必要というわけではない。ドルトンは倍数比例の法則などから原子説を提唱した(詳しいことは私はしらないが)。倍数比例の法則など小学生で習う比、つまり初等算数で十分であるが、重要な研究である。もっと言えば、デモクリトスはおそらく、何の数学も使わず、原子説を提唱した。まあこれは科学といえるかどうかわからんが。 私の言いたいことは、自然を理解するには必ずしも数学は必要ではないが、量、つまり長さの関係を知りたければ数学が必要だということである。また、工業技術の要請に答えるためには定量的な研究は必須である。となるとどうしても数学は必要となる。

相対性理論や量子力学で使う数学があらかじめ数学者が用意してあったというのは確かに驚きである。ただ、数学の研究の題材は実数の計算であり(もちろん単純な計算ではなく定理を発見したり証明したりするのだが、その本質は計算である。ただ幾何学では図形の性質を調べる。整数論ではもちろん整数しか扱わない。が、細かいことをいってもしょうがないし、私の言いたいことは通じるであろう。)物理はこの実数(長さ)に物理概念を帰着させその間の関係を研究しているのであるから、そう驚きとは言い切れない。これが、社会学の研究が物理に役立ったらそりゃあ驚きだろうが。ただ、私は相対性理論が本当にあそこまで複雑な式を使わなければいけないのか正直疑問に思っているし、私自身相対性理論の本質をわかっていないといっておこう。

現在の物理研究では数学というより数式に偏りすぎていると思う。なんでもかんでも数式で表し、やたらと計算をし、とにかく定量的でなければ物理にあらずという感がある。まあ、数学好きな人間が物理学科に入っているというのもあるだろうが。学校での試験も物理にやたらと数学が使われる原因がある。計算はテストしやすいのだ。

もっと物理や自然の本質を人間が理解できるようになったら、自然研究にやたらと数式はでてこなくなるのではないだろうか。

2010年11月30日

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