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鳩山元総理の議員辞職撤回発言に対する擁護

昨年(平成22年)6月頃、総理を辞職した際、鳩山さんは国会議員を今季限りで引退すると発言した。しかし、その後、その発言を撤回し、次期国政選挙にも立候補をすると表明した。これに対し、「一度発言したことを撤回するとは男らしくない」たら何やらで罵詈暴言が浴びせかけられている。わたしは、これはおかしいと思うので別に鳩山元総理に対して何の思い入れもないが彼の行動を擁護したい。

まず彼の引退撤回宣言だが、いったい誰かに迷惑をかけたのか。損害を与えたのかという点である。このことを少し考えてみれば彼の引退撤回宣言が非難に値しないことがすぐわかるであろう。そこで、あえて迷惑を被った人を探してみれば、鳩山議員の選挙区に今度立候補しようと思っていた人しか見当たらない。その人に見れば次回こそ自分が国会議員になれると期待したであろう。しかし、そんな人の利益は法律用語で言えば反射的利益であり保護するに値しないものである。多少かわいそうな気もするが。とにかく、どう考えても、彼の引退撤回宣言は誰にも迷惑を及ぼしていないのである。人間非難に値するというものはただ一つであり、それは誰かに、広い意味での迷惑を及ぼした場合でだけある。確かに前言を翻せばだれかに迷惑を及ぼす場合が多い。例えば、売買契約をしたのに、後になってやめたと言えば相手側は必ずしもとはいえないまでも損害を被るであろう。このように前言を翻すことは、一般的には誰かに迷惑を及ぼすことが多いので、一度言ったことは必ず行わなければならないという、私に言わせれば硬直的、二次的な道徳律が成立したのである。私に言わせればこの硬直的道徳律によってどれだけ不幸が発生したかわからない。思うに、鳩山議員を非難している人たちは、この「前言を翻すな」という、必ずしも成立しない事が多い道徳律を根拠に罵詈雑言を浴びせているのである。前言を撤回したからといって誰かに迷惑を及ぼさない場合も多いのである。鳩山さんの発言は、私が「明日は一日中ごろごろしているよ」と発言しつつ明日になってみると気が変わって野球を見に行ったというのと何ら、誰にも迷惑をおよばさないという点で変わりはないのである。こんなのはちょっと考えれば自明のことなのだが、政治家に対しては罵詈雑言を浴びせてよいという――これこそ私に言わせれば道徳律に反する――甘えのために、彼に対して罵詈雑言を浴びせているということである。

2011年1月29日

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