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【アドルフ・ヒトラーの青春―親友クビツェクの回想と証言、アウグスト・クビツェク著】の思いで

この【本の思いで】を書くのも約1カ月ぶりである。私生活でいろいろ大変で書くことができなかった。今も大変だが、何か今日は書きたい気分なのだ。この本を読んだのは確か2年前、2008年4月だと思う。今当時の日記でも確かめてみた。わずか2年前だから思いでというには、おこがましい気がする。

 私は、子供の頃から、少なくとも高校生ごろから、ヒトラーや、第二次大戦下のドイツというのに興味があった。というより、ユダヤ人大虐殺というものに興味があった。わずか40年ぐらい前にこんな残虐な行為が行われたなんて全く理解できなかった。どう想像しても理解不能だった。そんなんで、大学の教養部にいたころは「ナチス追求」という本をテキストにしたゼミを取ったりしたし、それに関する新書なども読んだりした。その他もろもろ読んだ。未だに家に「ヒトラーの時代、講談社学術文庫」があるが、これは長野オリンピックを見ながら寒い京都で布団にくるまれながら読んだものだ。

 私は当然ヒトラーを極悪非道な人間と考えていたと思う。でも、なにか嫌いになれないところもあったんじゃないかな―。被害にあわれたユダヤ人のかたには申し訳ないが。ジョージ・オーウェルは「ヒトラーが近くにいたら間違いなく殺すが、彼のことを嫌いになることはできなかった。」と著書に書いている。私も大人になるにつれて、単純に人間を悪い人間、いい人間と分類しなくなった。人間、欲を持つものであり、その欲はしばしば他人の利害と対立する。お互い様、というように、自分の多少の欲を通して、他人に害を及ぼしてもいい場面もなかにはある。

 そんなころに名古屋の鶴舞図書館からこの本を借りてきた。著者はヒトラーの10代後半のころの親友である。その著者が昔のことをつづっているわけである。内容は会話形式が多い。これは、もちろん正確にこういう会話があったというわけではないだろう。こんなような会話だっただろうと思いだしているのである。わたしはヒトラーという人物にずいぶん共感を持った。この本から推論すると、ヒトラーというのはずいぶん正義感や公共の精神が強い人間であり、怒りっぽく、読書好きで、独学が好きな人間である。これを見ると若いころの私そっくりである。こういう、普通とはいえないが決して、邪悪な人間でもない人物がユダヤ人を大量虐殺した。うーん。と思う。ただ、わたしはこの本を読んで犯罪者に寛容になったと思う。

 尚、未だになぜユダヤ人大虐殺が起きたかということについて、ほとんど理解できていないので、これは今後も勉強したい。やはり、戦争中だったということも大きな理由の一つなのではないだろうか。人は一度人殺しをやると、人を殺すことに対する抵抗が少なくなると聞く。

2010年10月4日

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