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【解法の手びき、矢野健太郎著、科学新興社】の思いで

 この「解放の手びき」は大学受験用の参考書である。この本は私に数学を学ぶ喜びを与えてくれた本である。私とこの本との出会いを述べたい。 

 私は高校時代全く授業を聞いていなかった。高校入学と同時に落ちこぼれた。私は授業中は寝るかしゃべると決めていた。たまにはサボったりもしていた。高校の教師も特にとがめることもなかった。私と同様、全く授業を聞いてない人間が結構いたような気がする。そういう高校だった。だが留年という制度があった。高校なのに。2年生に上がる時や、3年生に上がる時は結構びくびくしていた。実際留年したものも何人かいた。私は先生の温情で進級させてもらったのだと思う。留年がかかってる試験でなんとかしなきゃと思って少しは勉強したと思う。私は数学の教科書も広げたことだろう。関数の説明として y=f(x) と書いてあったがいったい何のことかさっぱりわからなかった記憶がある。一人で読んでわかるようには書いていなかった。

 そんなこんなで私は高校3年生になった。1988年である。当時私は柔道部に入っていた。4月ごろに風邪をひいた。そのとき退屈したのだろう。頭の中には大学進学というのがあった。私は大学生活にあこがれていた。それで、数学Ⅰの基本的な問題集を買ってやってみた。問題自体は簡単だったのだが、なにか説明などに釈然としないものを感じていた。私は高校3年生になり、脳も発達し論理というものを考えるようになり批判精神も現れてきたのだ。私は学校の先生に質問をしたりしたが教えてくれない。私が通った高校の教師は自宅で塾をやったり、予備校の講師をしたりするものが多いという、とんでもない高校だったのである。

 いろいろ疑問を持ちながらも進んでいき基礎解析の数列に入った。私はここでつまった。チャート式数学というのがあって学校で買わされていた。その本で調べたりもしただろう。だがその本は問題を解くのが主流で概念や定理の説明などない。あっても簡潔なものだ。私は近所の本屋で「大学への数学」という本格的な本も買ったがよくわからなかったのか釈然としなっかたのか、すぐ読むのをやめた。その時に出会ったのがこの「解放の手びき」だった。

 私がなぜこの本を選んだのか想像がつく。私はただ問題を解くということに、満足していなかった。なぜ、式を加えたり引いたりしたら解が求まるのか、必要条件とは何か、同値とはどういう意味かというのに疑問を感じていたのだ。教科書やチャート式にはそんな説明はない。問題集など特にそうだ。この本の序文に、できるだけ概念、定理を厳密に説明し、高校の範囲を超えるときはそのことを明確に述べるというような記述がある。実際、本文では必ず概念の説明があり、定理の証明があった。そういうことで、まさに私が求めていたものだった。

 そういうわけで、この本を買ったのである。それからというものは数学の勉強が楽しかった。私は小学校の算数、中学校の数学は割合得意なほうだったが、数学がおもしろいと思ったことは中学の確率を除いてなかった。よく、中学校のとき数学にはまったという話を聞くがそんなことは全くなかった。

 受験勉強中、私はこの「解放の手びき」を読むのが楽しみだった。特に微分積分が面白かった。小学生の時や中学生のとき、円の面積や球の体積は微分積分を使えば求まるよと先生が言っていて、私は微分積分にあこがれていたのだ。私はこの本を読むときは疲れていないときを選び2時間くらいじっくっり読んだ。2時間以上続けることは、めったになかったと思う。疲れてしまい、せっかくの楽しみが奪われるからだ。勉強を終えたあと、何ともいえないエクスタシーを感じ家の周りを散歩した。すばらしい時間を与えてくれたのである。この本の著者の矢野健太郎先生は1993年ごろ亡くなった。素晴らしい時間を与えてくださった先生に感謝したい。

2010年8月30日

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