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憲法解釈の変更という無意味さ

最近話題の憲法解釈の変更だが、これは一体何なんだ。というのが私の感想だ。正直言って、めちゃくちゃすぎて、どこがめちゃくちゃなのか説明がしようが無いというところだ。私は集団的自衛権の意味も知らないし、知りたいとも思わないが、めちゃくちゃだということはわかる。例えば、「テレビ視聴は20歳未満は禁止」という法律があったとしよう。「これを明日からテレビの意味にラジオも含める」としますとしているのと全く同じことである。憲法や法律というものは作ったときに作った人が合意した内容がその意味のはずである。だからもし憲法を正しく解釈するなら、作られた当時どういう意味で作ったかを調べるというのが正しいことだろう。作った当時は軍隊を持たないという意味で、国会議員も国民もそういう意味で作ったのだからその意味のはずである。だから我々国民はその意味で使うべきなのである。
ただ安部首相個人がそれをどう解釈しようがそれは勝手である。それは個人の思想の自由である。しかし、それを閣議決定して一体何の意味があるのだろうか。これは私個人が憲法9条はこういう意味だと宣言するのとなんの変わりはないはずである。だから我々国民は安部首相が憲法違反の命令を出したら単にそれは憲法に違反しているとして命令に従わなければいいだけなのである。
まあ、おそらく今やっているのはマスコミを利用した宣伝行為だろう。散々、宣伝しとけば、そして法的には全く無意味な閣議決定というものが実は法的に効果があると思わせるものである。今後自衛隊に新たな解釈での命令が下った時に国民というかマスコミに騒がれずに自衛隊員にも戸惑いを持たせずに行動してもらうためというただそれだけのことだろう。簡単にいえば、今後はこういう命令に従わないとまずいという雰囲気作りをしているわけである。大衆というものは理屈で動いているわけでなく、雰囲気で動くからである。この憲法解釈の変更というのは、ジョージ・オーウェルの「動物農場」にそっくりな話がでてくるよ。
ちょっと何を言っているかわからなくなったが、①法律というものは作った人がどういう意味で作ったかが正しいいみであること②憲法解釈の変更を閣議決定してもそれはなんの意味もないこと。③我々国民は憲法違反の命令には従ってはいけないこと。総理大臣から殺人を頼まれたからって、従わないだろう④今やっているのは今後憲法違反の命令をだすことがあるので、そのときは従わないといけないよという雰囲気作りをしていること
まあ、そんなところです。あまりの馬鹿馬鹿しさに説明するのに困るよ。

2014年6月16日

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