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幸福論【バートランド.ラッセル著 岩波文庫】の思いで

これを最初に読んだのは確か22歳の秋、9月、10月頃だっとと思う。ということは西暦1992年、平成4年ということになる。当時、私は札幌に住んでいた。

 なんで、この本を読んだかというと、大学1年のとき、ということは平成元年、――私の大学生活は平成と共に始まった――哲学演習(名前は覚えていない、論理学演習だったかもしれないし、倫理だったかもしれない)というのがあって、ラッセルの【哲学入門】が題材だった。内容は存在論だった。この【哲学入門】の最初の部分だ。この演習自体は4,5人の少人数で、すごく楽しかった思い出がある。剣道部のかわいくて、明るい子がいたなあー。で、演習の打ち上げかなんかあったのに用事(たぶんクラブだろう)でいけなかったんだなー。が、この本に書かれている存在論については、「そんなの考えてもしょうがないんじゃないの。感覚で得られるものを存在すると定義するしかないんじゃないの。」というようなことを思った記憶がある。なにせ、21年も前のことだから、はっきり覚えてない。ちなみに私の本棚にはまだこの【哲学入門】がホコリをかぶりながらも残っている。そんなことで、ラッセルに興味をもって、この【幸福論】を買っていたんだと思う。今、本の後ろを見てみると【1991年3月18日 第1版発行】となっているのでその頃に買ったのだろう。で、読まずにずいぶん、本棚に置いてあったと思う。私は買った本でも読むほうが少なく、全部通読するようなことなど、ほとんどない。で、22歳の秋になって、何のきっかけか全く記憶にないが読んでみたということなのだろう。

 そして、一気に読み終えたはずだ。読み終えてか読み途中かおぼえてないが、自転車に乗って、飛び跳ねたい気持ちで、ラグビーの練習に向かったような気がする。つまり、喜びでいっぱいだった。若かったなあー。初めて、頭のいい大人にあったきがするし(ここでは大学生は子供と定義する)、何となく思っていたことをこれほど明快に述べてくれて、若い時しかえられない感動だったなあー。その勢いでラッセルの【教育論】も岩波文庫からでてたので、読んだよ。

 20代半ばの苦しくも、充実した日々には、つらいときなんかに本当に何度もよんだ。だからと言って、つらいのが緩和されるということはなかったけどね。いまではほとんど開くこともなくなった。もちろん大切にとってあるが。この本の著者が序文で「この本には深いところがない」と書いてあるように今の私にも確かにそうだなあと思うようになった。でも、この本でいいのはこの本の最初で引用しているホイットマンの詩だなあ。引用させてもらうと

ぼくは道を転じて、動物たちとともに暮らせるような気がする
 彼らはあんなに穏やかで、自足している
ぼくは立って、いつまでもいつまでも、彼らを見る
彼らは、おのれの身分のことで怒ったり、泣いたりしない
彼らは、暗やみの中で目ざめたまま罪をくやんで泣いたりしない
彼らは、神への義務を論じたてて、ぼくに吐き気を催させたりしない
一匹だって、不満をいだかず、一匹だって、物欲に狂っているものはいない
一匹だって、仲間の動物や何千年も前に生きていた先祖にひざまずくものはいない
一匹だって、お上品ぶったり不幸だったりするやつは、広い地球のどこのもいない

今見ても、改めていい詩だと思う。私は詩なんて全然読まないけど、この詩は特別だなあ。訳もいいと思う。この本の訳者の安藤貞雄さんが訳したのかなあ。

 で、この本の内容なんだが、いずれ機会があったら書いてみたいと思う。値段も消費税込(当時3%)で570円(その当時)と安いし、すぐ読めるので買っといて損はないと思う。

2010年8月20日

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