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メールと手紙 ( メールは疲れる)

もう10年くらい前、友人がこんなようなことを言っていた。「メールは疲れる。すぐ返事出さなきゃいけないとか・・」。当時、私はメールアドレスを持っていなくて、「へ~そうなんだ」くらいにしか思わなかった。で、7年くらい前かな、別の友人が「手紙はゆったりしているのがいい」と言っていた。これにはそれなりに共感した。なんといっても配達されるのに時間がかかるからね。

私も5年ほど前にメールアドレスを持ち、メールをするようになった(実際は1996年から2000年ころも一応メールアドレスはあったが)。そして上記二人の友人の言っていたことがわかった気がする。確かにメールは疲れるところがある。例えば誰かにメールをしたとする。すると、1分以内に返事が来ることもあるし、1日後のこともある。そして、来ない時もある。それで次の日くらいに返事が来ないと、メールの内容にもよるが、「どうしたんだろう」とか「まずいこと書いたかな」などという気になってしまう(時もある)。それを言うなら手紙だって同じだろうというかも知れないが、何と言っても時間が違うのである。メールではメールを書いて送信した瞬間から返事への期待が始まる。例えば1日後に返信がこなかったとしよう。書いてから1日しか立っていない時期というのは「書いた」という事実や「書いた内容」が脳にありありと刻み込まれているのである。そして、「どうしたんだろう」とか「まずいこと書いたかな」などという気になりがちになる。一方、手紙はどうか。札幌から東京へ手紙を出すと最低2日かかる。その人が受け取る。手紙を書く。これはメールを書くより大変なことだ。そして、その人が投函してからまた2日要する。返事が来るのは早くて4日後。通常は1週間以上後だ。つまり1週間位立ってから、返事への期待が始まるわけだ。もう、その頃になると書いたという事実や書いた内容の記憶が薄れ、「そういえば手紙書いたな~」くらいの気持ちになっている。あまり返事が来るかどうか気にならなくなっている。要約すればメールは返事への期待が1分後から始まり手紙は1週間後。1分後には書いたことが記憶にはっきりしていて、1週間後にはもう記憶が薄れているというところかな。今述べたことはフェイスブックやユーチューブなどでも同じことであろう。投稿した瞬間に他の人のフィードとかいうものに現れるのだから。

ここ数年メールを使ってみて二人の友人の「メールは疲れる」とか「手紙はゆったりしているのがいい」というのはこんな意味でこんな理由なのかなと思った次第である。ちなみに私はメールも手紙もよく使っている。

2014年5月12日

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