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聖書の思いで

聖書とはもちろんキリスト教の聖書のことである。私は父がたの祖父母がキリスト教徒だったせいだと思うのだが、キリスト教系の幼稚園に通った。単なる家から近かったからかもしれない。幼稚園の授業らしきものでは聖書の物語とか読んだと思う。卒園式では聖書をもらった。意味もわからず少し読んだ。

 聖書には奇跡のようなめちゃくちゃな話があふれている。大きくなって科学などを学ぶようになると宗教などに全く興味なくなった。というより最初からなかったが。どうも宗教と言うとモーゼが海を割ったとか、キリストが触ると病気が治るとか、信じがたい話があふれているので宗教とはすべてこういうめちゃくちゃなものだと思うようになった。

 大学に受かった時、父がたの伯父で神父さんをやっている人が聖書をくれた。もちろん今でも大切にとってある。だが、私は当然ページを開くことはなかった。そのうち、いろいろ本を読むうちに聖書がよく引用されているので少し聖書に関心が出てきた。20代のころ愛読してたラッセルの幸福論でもよく引用されている。

 三十代の始め無職だったころ時間があったので聖書を読んでみた。旧約聖書をぱらぱらめくってみた。驚いた。決して因習的な道徳を述べているものではない。当時の知恵がある人が、書いたものだ。今の道徳では受け入れられないが、私は受け入れているようなこともいろいろ書いてあった。やはり、2000年以上続いた本だ。この頃ぐらいから宗教というものを毛嫌いしなくなったんじゃないかな。宗教てのは原始的なときは生きていく知恵や道徳を述べたもので、時代がたつとこう、なんていう因習的になってダメになっていっている気がする。仏教なんてそうじゃないかなあ。

2010年10月4日

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