本の思いで トップ

【森の生活、H.D.ソロー著、飯田実訳、岩波文庫】の思いで

 この本を初めて知ったのはたぶん1990年代の後半、もう2000年に近かったと思う。その時、文芸春秋(?)の文庫で、この本が出版されたのだと思う。当時、私は京都に住んでいた。私はタイトルに惹かれてかわからないが、この本を買った。で、パラパラ、めくったのだが、訳の感じが好きになれなかった。妙にくだけた表現で、ちょっと嫌味っぽい口調の文体だったと思う。確か、訳者があとがきで、こんな生意気なやつは見たことないというようなことを書いていたと思う。そういう、訳者のイメージが文体に現れていたのだと思う。そういうわけで、その文芸春秋(?)版はそうそうに捨ててしまった。私は本はどんどん捨てるたちで、今持ってる本の10倍くらい捨てたのではと思う。本当は本を捨てたくはないのだが、やはり狭い部屋には限界がある。若いころは古本屋をよく利用してたので、引っ越すたびによく捨てた。

 で、次の出会いは2001年か2002年だと思う。当時わたしは田舎(岐阜県大垣市)にすんでいた。で、おそらくその田舎の本屋に置いたあったのだと思う。それで買ったのだと思う。実はたいして記憶もないのだが、なぜそう思うかと言うと、本の後ろを見ると、上巻のほうは1997年4月5日第6刷、下巻のほうは1997年10月6日第6刷となっている。買ったのが2001年か2002年なので、出版から5年くらいたっている。皆さんも御存じのように岩波書店の本は委託販売でなく、買い取り式である。というわけで、この田舎の本屋で売れずに5年ぐらいたっていたのだろう。街中ではこう長い間売れないということもあるまい。2002年8月25日の日記のようなものをみると、このころ ”Einstein and the Poet, ユートピア、森の生活、ガンジー自伝、フランクリン自伝、ラッセル自伝をよんだ” ということが書いてある。ずいぶん、沢山よんだと思われる方もいるかもしれないが、”Einstein and the Poet”以外は、これらの本の一部を読んだだけである。当時私は無職で時間があったのだ、途方にもくれていた。8年前か。

で、肝心のこの本のことなのだが、前に書いたラッセルの幸福論のように一気に読んだ記憶はない。実はいまでも通読してないのである。何度も繰り返し読んだのは、最初の部分の【経済】のところだ、「このような緯度に住んでいても、生きていくにための労働は片手間ですんだ」というような主張。つまり、人間が簡素に生活すれば、ほんのわずがの労働ですむよ、ということをいってるわけだ。その頃までの私の考えは文明が進んでくれば、機械が働いてくれて、人間の労働時間は減っていくという考えを漠然と考えていた。若いころよく読んだラッセルの本などにも、そのようなことはよく書いてある。年寄りが昔は大変だったというのをなんとなく信じていたのかもしれない。実際はぜいたくや競争が労働を作っているのだ。この本の影響かわからないが、当時、文化人類学の本も何冊か読んだが、原始人というのは確かにほとんど労働してないらしい。興味のあるかたは【本多勝一著、ニューギニア高地人】なんかも参考になると思う。そのころ読んだ旧約聖書にも「人々があくせく働くのは競争のためだとわかった」みたいなことが書いてあった。そうなんだ、野生の馬は働いていない。食料のあるところに住んでいるのだ、ミミズも当然そうだ。私の労働の考えに大きな影響を与えたことは間違いない。いまでもソローのいう生活経済学というのは私の主要な関心ごとだ。

ソローの本の魅力は、その率直さにあると思う。これは、ジョージ、オーウェルにもいえることだが。ソロー自身も、どんな人生でも率直に語れば、聞くに値するものだというようなことを書いていた気がする。読書や、肉食、釣りのこととか、いろいろつづっていて本当に共感させられることが多かったし、今でも共感する。どこの箇所だったか忘れたが、「団体に良心はない」というのがあった。ソロー自身が諺のような感じで引用していた気がする。西洋の諺なのかもしれない。これなど、しみじみ、真実だと思う。人間団体になると平気で悪いことをするものだ。印象に残る言葉だった。この本は、私が生きている限り手元にある本なんだろう。

2010年8月23日

本の思いで トップ