本の思いで トップ

【哲学入門、バートランド・ラッセル著、中村秀吉訳、現代教養文庫】の思いで

 幸福論の思いででも書いたが、私はこの哲学入門を大学の哲学演習で知った。というより、このラッセルの【哲学入門】という本ががこの演習のテキストだった。1989年、大学1年目のことである。当時私は札幌に住んでいた。

 そもそも、私がなぜ、この哲学演習を選択したかということから話そう。私が高校生の時、確か百科事典を読んでいた時、実在論なるものがあることを知った。なんでも、その実在論なるものは、この目の前にある机が存在するかというのを考えるそうだ。私はそれを、読んで、目の前にある机は存在するに決まっていて、いったいどういう理屈でそれを否定するのだろうと思ったものだ。

 そうしてこういう存在論というか哲学というものに少しばかり興味があって大学に入った。私が入学した大学では、科目を選択するとき、まず学期の始めに科目の紹介の書いた冊子が配られる。それをみて1カ月ほどいろんな授業を見て回って、1カ月後くらいに正式に選択した科目を届け出るという仕組みになっていた。私はこの冊子をみて哲学演習に顔を出してみた。小さな部屋にどうだろう8人ぐらい集まっていただろうか。それを担当する先生は 野矢茂樹先生だった。なんで、この先生の名前を覚えているかというと、野矢先生はその何年か後、本をだされて、その本を手に取った私が「あれ、もしかしてあの哲学演習の先生かな」と思ったからである。

 で、その野矢先生がおっしゃるには、「自分が死んだら、この世の中は本当にあるのだろうか」とか、そういうことに疑問を感じる人に、この哲学演習を選択してもらいたいというような趣旨のことを言われた。その発言で数人が、ちょっと自分には向いてなさそうなのでと言って席を立った。私は先生が言っていたことに疑問など微塵も感じてなかったが、面白そうなのでこの演習を選択した。

 野矢先生は当時30代半ばくらいだったろうか。当時18の私から見れば十分おっさんに見えた。この演習でラッセルの【哲学入門】がテキストだった。演習の進め方はおそらく、学生がテキストをあらかじめ読んできて、その内容を発表するという形式だったのかと思う。いや、予習した内容のレポート提出だったかもしれない。で、この【哲学入門】にでてきた感覚与件というのを覚えている。で、まあ私なりに当時の乏しい頭で考えたのだが、感覚で感じるものを存在すると定義するしかないんじゃないのと思った。考えてもこれ以上前へ進みそうもないし、どうも哲学というのは面白くないなとも思った。わたしの友人のA君は大学入学するとすぐにこの【哲学入門】を読んで哲学とは世の中を変えて、よりよい世の中を作るための学問だと思ったら、この本をよんで大きく失望させられたと言っていた。

 演習のときの野矢先生は特に発言したりせず、学生の話を静かに聞いていた気がする。学生の議論の欠点を指摘をするでもなく、学生が議論するのをただ聞いていただけだったような気がする。5人ぐらいの演習だったので我々学生は実にアットホームに議論をした。テキストにない内容についても、いろいろ話したものである。私は講義を聴くのは苦手だったが、こういう演習は全く面白かった。ちなみに、私の大学時代で【優】を取ったのはこの科目だけであると思う。

2010年9月14日

本の思いで トップ