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光の軌跡の変換としてのローレンツ変換

2011年6月28日

参考文献

  1.  アウグスティヌス著 服部英次郎訳 「告白」 岩波文庫 1976年
    下巻127ページ(原本では第11巻第23章)に ”わたしはかってある学者から日や月の運動がとりもなおさず時間であると聞いたが、それに同意しなかった” とある。また同本下巻 129ページ(原本では第11巻 第24章)に ”誰かが時間は物体の運動であるというものがある” とある。アウグスティヌスはその見解に反対している。アウグスティヌスはローマ時代末期(AD354-430)の神学者
  2.  ニュートン著 「自然哲学の数学的諸原理」 河辺六男訳 世界の名著 中央公論社
    65ページに絶対時間についての記述がある。引用させてもらうと ” 絶対的な、真の、数学的な時間は、それ自身で、そのものの本性から、外界の何物とも関係なく、均一に流れ、別名を持続ともいいます。相対的な見かけ上の、日常的な時間は、持続の、運動による(精密にしろ、不精密にしろ)ある感覚的で外的な測度で、人々が真の時間のかわりに使っているものです。一時間とか、一日とか、ひと月とか、一年とかいうようなものです。 ”
  3.  マッハ著 「力学史」上下 ちくま学芸文庫 2006年 原著初版は1883年 訳は第9版(1933年)による。
    マッハによる時間の考察は上巻の346ページから349ページ「時間、空間、および運動に関するニュートンの説」の中にある。ほんの一部を引用すると ” われわれは物の変化を、時間によって測定することは、決してできないのである。時間というものはむしろわれわれが物の変化によって得る一つの抽象である。というのは、全ての物は相互に関連し合っている故、決して一定の尺度がわれわれにしていされてはいないからである。等しい距離の増加が比較(の基準になる)運動(地球の回転)の示す等しい距離の増加に対応する。そのような運動を等速であるというのである。一つの運動が等速でありうるのは、他の運動に関連してのことである。運動それ自体が等速であるかどうか、という問題には意味がない。 ”

目次

はしがき

第1章

第2章

付録A

あとがき

参考文献